羽毛
目下の所カウンセラーとして活躍中であるChatGPT 4oに「インターネットでさえつまらないんです」と相談すると「じゃあ本を読みなさい」と諭されたので本を読んだ。う、梅崎春生。
この件で分かる通り、なんだか疲れている。
これ以上いくら感動できるものを探しても意味はない気がする。
今にはそれはないし、過去にもない。
未来はそもそも、感じる私はそこにいない。いったい誰なんだお前は。
本物も、永遠もない。つくられたもの(静止した過去)の他に、そこに見えたこともない。
なら人の思い出の中に、創作物に消え入ってしまおうか。そうだとしても、それらは純然として独立していて、したらばそこにコンテクストの累積である私なんか必要ないわけだ。何が批評だ、解釈だ。インポテンツのジジイどもが。
で、終わらせようとてしかし、死んだあとに地獄がある可能性は誰にも否定し得ない。ないしは天国もそうだが。
パスカルは神を信じることをそういった観点で問いていた…ということを聞いた。
仏陀もその点そうだろう。死ぬことで救われることと失われることは計り知れないなら、体系化したなにかでそれを覆いたいと。否定はできない。理性が。
働きたくないとかそういうことでもない。労働の内容は望みうるものの中でも理想に近しい。さしたる疎外もない…と思う。
しかしもういいといった感じで、だからもうよくて、きれいな景色も目標も何も、影を探しているに過ぎない。
過ぎ去った過去にも未来にも何も無い。で、もうすべて見たなら、今後起こる何かを見てほしい<私>もないし、もういい。なんかそんな感じ。
例えばそうなると私は軽さ(例えば無職など)を求めて、しかしいずれは再び重さに回帰するだろうし、それはもう何度目かも思い出せない。
連日飲酒をしているが解消の目はない。気絶したあと、このまま目覚めないことを願うばかり。もはや「どうしてこうなったのだろう」というような疑念もなく、確信と必然の中で呆然とするばかり。